この条約が核の保有だけではなく、“核を使うぞ”という脅しも禁止している。ということなる。日本はご存知の通り、アメリカの核の傘のなかにいる。もし日本に他国が悪さをして来れば、「そっちにアメリカの核が飛んで行くかも知れない」という構図のなかで、日本の安全保障が保たれている事になる。
その条約が禁止している核抑止論、そこまで禁止されてしまうと、日本の安全保障政策の根幹が揺らいでしまうということである。でも、そこまで政府ははっきりと説明しないのである。先日の加藤官房長官の会見の言葉を借りて述べると、「現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、同時に地道に核軍縮を前進させる道筋を追求して行くことが適切だ。わが国のアプローチとは異なる。現状で核兵器保有国のみならず、非核兵器保有国からも必ずしも支持を得ている状況ではない」と。終戦を迎えた日本の中には北朝鮮問題や中国有事の際、日本はアメリカの核の脅しを使用することになるであろう。
2つの原子爆弾により多くの命を失った日本のそれが答えであることに関し、情けなさを感じずにはいられない。
終戦を迎えた日本はあの戦争で多くの人々を犠牲にしている。私にとっては「核兵器禁止条約」に署名を渋っている日本の考え方を改めて非難したい。日本は軍隊を持っていないが実質的に「自衛隊=日本軍」であることは明白であるといっても決して言い過ぎではないという結論に達する。
「非核三原則」はどこへいってしまったのだろうか?多くの疑念や不安要素を抱く中、日本は78年目の夏を迎える。祈念日ではなくなぜ記念日なのか?戦没者や戦死者の冥福を祈り、黙祷を捧げる15日に人々はその疑念抱きつつ、猛暑の夏は例年通りに訪れる。
国民全てが疑念を抱かなければならい日は、そう遠くはない。