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執筆者の写真HIROKI OSADA

経営意識・改革

我々は、何を求めているのだろうか?

物事の本質は、全てに疑問を持つことから始まる。

例えば「何のために生きているのだろう?」「何のために結婚をするのだろうか?」きっと疑問を持ち始めた瞬間、あらゆる答えが無数に紐づいていくはずである。

しかし、その疑問に”答え”はそれぞれであり、決して”一点”に絞ることはできないのかも知れない。人は永遠に疑問を追求したがる者である。

であるからして、「経営者の本分」であるとか「経営者の極意」等といった”How to”本が世に多く出回っているのだろう。私は先頃「イーロンマスクの生声(なまごえ)」という本を購入してみた。内容は、イーロンマスクの名言をつらつらと書かれている。以前にも「ドラッカー理論」という本を買って読んでみたが、これにも一時的な想いを抱いて、暫らくして素っ気ないほど忘れてしまった。

経営者の多くは、狂信的に誰かに憧れを以てその影を追うかの如く、朝礼などで「本」の感想を一人ずつ言わせ、満足げに頷いている。

社員にとってみれば、それは「会社の為」ではなく「社長の為」でしかない。社長を”満足”させる為に行っている通過儀礼であるのだ。私はそれを「無駄」であるとしている。

何故ならば、「〇〇の理論」や「〇〇の名言」「社長の理想像」などという本を読み漁っている経営者に「自己への問いかけ」や「理念」は到底存在しえない。

経営者は、それが例え間違っていても”イズム”を持つべきである。ここだけは譲れないという何かがきっとあるはずだと、私は思っている。

仮にそれが”間違い”であったとしても、「方向修正」は社員が自ずと行っていくものである。それが「会社」というものではないだろうか?

余りにもそれが社員の意思と乖離していたのであれば、社員は離れていくであろう。その時に、経営者は思い知らされるだけのことである。

一から構築することの難しさは、誰より経営者が知っている。

経営者と社員は本来、繋がっていけばいいが、決してそうであるとは限らない。では、経営者と社員が繋がる為にはどうすればいいのか?

答えは簡単である。

「社長」=「社員」であり、社長が自ら現場の意見に耳を傾け、社長でありながら社員であるという構図を描けばいいのである。そして、社員の努力が報われる意識を構築していくだけである。「悩み」「苦しみ」「共感」することで、自ずと道は広がっていくはずである。本などで「意識」を磨くことを今すぐ止めて、社員の「意識」に寄り添うだけでいい。経営者の意識が変化するのは、社員に色付けされたベールを纏う…それ以外に方法はない。

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