出典:毎日新聞
1945年8月6日11時15分、一発の原子爆弾により広島の街は焦土と化した。
今年、広島でG7サミットが開かれ、各国の首脳等は核軍縮の批准と未来に向けた希望を記した。しかし、未来を見据えた希望を記した各国は未だ核を保有し、自国保護の盾にしている。日本も又、アメリカの核の傘下にいると言っても過言ではない。
今年、84年目の原爆の日を向かえる広島は、そうした過去や未来を背負ってこの日を向かているのだ。私の母は終戦の日、4歳だったという。
母には記憶があった。それは「福岡大空襲」の日、同じく焦土と化した博多の街が目にすがってならないと言っていた。焼夷弾によって焼け焦げた親子、皮膚が爛れ死を待つのみの男性や女性、そして子供たち。
戦争は人の心も焼き尽くしていく。想い出の中に閉じ込められ、いまだに口を閉ざしている母の背中を見るたびに、私はその意味を考えてしまう。
戦争は決して未来を生ます、もちろん希望などある筈もない。現在、ロシアはウクライナへの侵攻を継続し人々は戦火の中をさまよい歩いていおり、ウクライナからのロシア反撃も始まっている。
こうした世界情勢の中で、第三次世界大戦の脅威も高まりつつあるのも事実であるといってもいい。8月6日、黙祷を捧げながら遠い福岡の地から平和を願ってやまない。