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執筆者の写真HIROKI OSADA

坂本龍一が遺したもの。

(出典:インターネット)

この年、71歳の短い人生を終えた坂本龍一氏、彼が遺したものは大きい。

私が初めて触れた彼の曲は「MerryChristmas Mr Lawrence」である。多くの人々はこの曲に影響を受けているであろう。他、音楽家は彼の一部は前衛的な音楽や時にはメロディアスな曲に影響を受けているのかも知れない。

作曲を行う私もその一人である。彼の音楽は常に実験的な音楽の集合体であった。

テクノカルチャー的な考えを持っている作曲家は多いが、坂本龍一氏の曲はそのテクノとオーケストラの融合、またしっかりとしたクラシカルな部分を発現してきた。

私は当初、久石譲氏の曲調にも影響を受けていたが、後に坂本龍一氏の音楽性にも触れていく中で、次第に坂本龍一氏の音楽に傾倒していくようになった。私が作曲をするなど、おこがましいのかも知れないが、憧れの存在であったことは言うまでもない。

「芸術は長く、人生は短し」まさにこの言葉の通りになってしまった。彼の「音楽」は芸術となり、今後も残り続けていくことだろう。

私が仕事で忙しく、近頃ピアノに触れる機会は減ったのだが、改めて坂本龍一氏のスコアーに目を通し、まずは手慣らしをしたいと思っている。

「ラストエンペラー」にてオスカー像を手にする彼の笑顔は素晴らしかったが、その後に様々な活動を通して、新たな一面を見せている。

それは、険しく非常に恐ろしい一面を見せてもいた。私がいま行っている活動を改めてビジネスに生かす糸口にしたいと思わざるを得ない。

とにもかくにも、坂本龍一氏は明らかに「作曲者」の域を超え「音楽家」としての存在を呈している。まずは、冥福を祈るばかりであり、新たな曲が生まれないことに切なさを感じている。新たな音楽を私も影響を受け続け、改めてピアノに触れていきたいと思うばかりである。「教授」安らかにお眠りください。

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