以前、大林宣彦に語った事がある。
そこに私は久石譲の音楽には触れてはいなかったので、追記として語ってみようと思う。
大林映画「ふたり」の最後を彩ったのは、久石譲の音楽であった。これは意外に知らない人が多い。私がピアノや作曲を始めたのは、久石譲の音楽に起点があった。
あのノスタルジックな映画の最後を飾ったのは、大林宣彦と久石譲のデュエットである「草の想い」という曲であった。二人のコラボレーションがなければ、この映画を成立させることはなかったであろう。実は、私の父の好きな曲は「草の想い」であった。
父の最期、つまり意識を失う間際までエンドレスで流していたのは、その曲であった。
父は、「草の想い」を聴きながらこの世を去っていった。
大好きな曲を聴きながら、父はとても穏やかな最期を迎えることができた。今、想えば久石譲に感謝している。この曲がなければ、穏やかな最期を迎えることはできなかったように思えてならない。今でも、母はこの「草の想い」を聴くと涙を流す。
私も、あの時の想いが込み上げてくることがある。
私が初めて弾いていたのは、後に「Tow of us」として再度発表されたピアノ曲であった。
「草の想い」である。
今ではそのスコアを忘れる程、ピアノに触れてない。仕事が忙しくなったというのは言い訳であるが、もう弾けない。それは父の最期を思い出すからである。
私にとっての久石譲はピアノに触れる唯一無二の存在となった。今も活動している久石譲ではあるが、私の中では「想い」を語る上で必要な要素となった。
ピアノを弾くことは現在のところない訳であるが、いずれ「草の想い」であり「Tow of us
」とされ親しんでいる一部人々がいる以上、この曲の楽譜を取り出す日が来ることを願ってやまない。