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我々にとって、平和とは。


「世界が平和になりますように。」もし心の中でこう願ったことがあるならば、あなたはこのとき、どんな世界を想像しているのだろう?――戦争のない世界や差別のない世界、貧困で苦しむ人がいない世界。もっと身近なことであれば、家族が健康で過ごせることや、新型コロナの終息が自分にとっての平和だと答える人もいるだろう。「平和」という言葉を発するとき、それが意味するものは一人ひとりが過ごした場所や関わってきた人など、育った環境や今置かれている状況によっても大きく違っている。

学校で平和学習があり、戦争のこと、世界の貧困問題を学んだが、平和という言葉は壮大で自分には何ができるか分からない。そんな人はまず、自分の趣味や街のことなど関心のある所から考えてみてはどうだろうか。

例えば、サーフィンや釣りが好きな人はビーチでのごみ拾いなど海をきれいにする活動、動物が好きな人は殺処分の問題に興味を持つかもしれない。また外国にルーツを持つ日本人や障がい者などマイノリティの当事者だけでなく、友人が当事者として苦しんでいるのを知る人も、差別をなくすために何かしたいと思うかもしれない。新型コロナによって失業した人、仕事が減った人が生きるために補償を求めることだって平和な世界に必要なことだ。今も多くの国では戦争や内戦が起こっている中、一刻も早く戦争がない世界が訪れることを願ってやまない。しかし、同時に平和とは戦争のない世界だけを意味しない。社会に生きる一人として感じる生きづらさを一つ一つ解決していくことも平和な世界につながるのだ。

77年前の戦争については、いまだに多くの課題が残されている。被爆者の高齢化に伴い戦争体験を語り継ぐことが難しくなっていることに加え、年々学校での平和学習の機会は減少し、学びの一環として広島や長崎の地を訪れる学校が減っている。それに追い打ちをかけるように、今年は新型コロナの影響で多くの現地での平和学習がキャンセルになった。また、いまだ世界中には約1万3千の核兵器が存在しており、唯一の戦争被爆国である日本は核兵器禁止条約に批准していない。

しかし、戦争の記憶が薄れることが懸念されているとしても、今の時代だからこそできることもある。Zoomなどのオンラインビデオツールを使ったオンラインでの伝承の機会や平和を伝えるイベントの開催、1945年当時生きていた人の日記をもとにTwitterで発信する「ひろしまタイムライン」という企画など、テクノロジーを使って全国、全世界に発信し、届けられる声もある。また広島などでは、高齢化する経験者に代わって当時のことを伝え聞かせる「被爆体験伝承者」の育成も行われている。

戦争が終結し、まもなくして経済大国となった日本は、平和な国だと言われてきた。そして今もそのように考える人もいるだろう。たしかに今日本は、かつてのように暴力を伴う戦争をしていないが、平和を「ただ戦争がない世界」ではなくもっと広義の平和と捉えるとき、私たちの生きる社会を「平和」ということはできるだろうか。

直接的・構造的・文化的暴力のすべてがない世界が「究極の」平和な世界だとすると、その道のりは遠いと感じられる。だが、平和な社会をつくるためには色々な方法がある。課題ばかりを見て悲観的になってしまうのではなく、一人ひとりが自分にとって「気になる」ところから小さな行動を起こすことで世界は変わっていく。まずは自分が関心のあるテーマから。一人ひとりの平和の「定義」を考え、頭をフル回転させて”IDEAS FOR PEACE”を生みだすことで、様々な面からピースフルな世界を描いていきたいものだ。

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